さいたま市浦和区のパーソナルトレーニングジム、Movere(ムーバー)代表パーソナルトレーナーの佐藤択磨です。

こんなことをブログに書くのもどうかと思いました。

でも、僕の今に大きな影響を与えてくれた人のことを忘れないために、今の心境と、彼女との思い出を綴っておきたいと思います。

彼女と最後に連絡を取ったのは、2018年の3年ほど前のことでした。

色々とあったみたいで、僕が尋ねると「聞かないで(笑)」と返ってきました。そこで僕は、妻のブラジャーを頭にかぶった、ふざけた写真を送りました。

「たくま、変わらないね(笑)」

その言葉は、今でも僕に自分らしさという原点を思い出させてくれます。

彼女は、中学3年生の頃に僕から告白して、見事にフラれた子です。

高校は別々でしたが、通学に使うバスは一緒。彼女は、僕の学校より少し遠くにある、頭の良い学校に通っていました。

当時の僕は、いつも7時半くらいのバスで通学していました。ところが大会前の朝練で、少し早いバスに乗った日、たまたま彼女を見かけたんです。

もともと地味目の子がタイプだった僕。彼女の高校はセーラー服で、中学の頃とは見違えるほど可愛くなっていました。高校1年生の終わり頃、僕はまた彼女に恋心を抱くようになりました。

彼女はテニス部に入っていて、中学の頃とは違い、スポーツの話も合う。バスで何度か会ううちに、通学の時間がドキドキするものになっていました。

土曜日の部活帰り、たまたま一緒になった日は、バス停から自宅へ向かう途中まで、10〜15分ほど話しながら歩きました。そんな関係が、数ヶ月続きました。

そして、あれは2月か3月頃。北海道では、少し暖かくなってきたと感じる季節でした。

彼女の自宅前まで一緒に帰ったとき、僕はその場で告白しました。

返事は「後日」とのこと。

「うわぁ、またフラれたかな〜」

そう思いながら帰宅したのを覚えています。

数日後、彼女から「返事をしたいから、〇〇で会える?」と連絡があり、近くの公園で会いました。

彼女は両手で大きく「オッケー」をつくるように頭の上に掲げ、満面の笑みで「よろしくね♪」と言ってくれました。そこから、僕たちの交際が始まりました。

僕が高校2年生でインターハイ出場を決めたときも、修学旅行から帰ってお土産を渡したときも、「嬉しい♪」と素直に喜んでくれる。本当に素敵で、可愛らしい子でした。

ただ、高校生の頃です。気持ちの移り変わりや部活動、さまざまなタイミングが重なり、1年も経たないうちに、僕から別れを告げました。

それでも翌年のバレンタインや夏休み、クリスマスの頃には、彼女から復縁の連絡をもらったこともありました。これは当時、仲の良い友人にしか話していませんでしたが。

減量中でイライラしていたり、気持ちが向かなかったり。高校3年生のクリスマスは、国体の決勝で負け、死にたいと思うほど精神的に落ち込んでいた時期でした。とても恋愛に向き合える状態ではなく、そのときもお断りしました。

その後は、近くの自動車教習所に通っていたこともあり、しばしば顔を合わせました。ただの友達、そして同級生としての関係になっていたのだと思います。

そして、忘れもしない2004年3月6日。僕が東京へ旅立った日のことです。

ボクシングの大学推薦で東京に着いた、その夜。期待と不安でいっぱいだった僕のもとに、彼女から電話がかかってきました。

「タクマ、もう東京にいるの?」
「最後にもう一回、会いたかった」
「ずっと好きだった」

嬉しかった。東京に来たばかりで寂しかったこともあり、お互い少し涙声で話しました。

大学1年生の夏休みには、地元に帰れる予定でした。でも、その前に大学の寮で行われた飲み会の夜、僕は彼女に電話をしたことがあります。

僕はもともとお酒が飲めません。そもそも当時は18歳でした。

その夜は先輩たちからビールやジンロの一気飲みを強要され、3回目の途中でトイレに吐きに行きました。個室の中で震えながら隠れていたことを、今でも覚えています。

ただ、みんなが使うトイレなので、ひっきりなしに人が入ってきて落ち着きません。そこで僕は、当時の監督の部屋に逃げ込みました。監督は寮には住んでおらず、普段、誰かが入ってくることもなかったからです。

そこで彼女に電話をしました。

「飲み会をしていて、殺されそうだ」
「早く北海道に帰りたい」
「また会いたいね」

長いこと話していたら先輩に見つかり、再びあの飲み会へ。そこから先の記憶はありません。

飲み会の話はここまでにします。

それほど辛かった大学1年生の夏、僕が心を強くして生きていけたのは、彼女との電話があったからでもあります。

「こんな俺でも、応援してくれる人がいる」

辛いとき、何度もそう思い出していました。

本音を言えば、あの頃の僕は「大学を卒業したら、この子と結婚したいな」と本気で思っていました。

夏休みに地元へ帰り、同級生6〜8人で集まったときには、彼女に新しい彼氏がいると聞きました。少し寂しかったけれど、僕もすぐ東京に戻ります。そこで改めて気持ちの整理ができたのだと思います。

その後も毎年、夏休みに同級生たちと会っていましたが、彼女と個別に連絡を取ることはありませんでした。大学3年生の頃には、僕にも、今の妻である彼女がいました。元カノへの恋愛感情は、もうありませんでした。

ただ、一度だけ、今まで誰にも話していないことがあります。

天国にいる彼女へ、もう一度だけ伝えたいことです。

あれは22歳、2008年3月。大学を卒業し、数日だけ地元へ帰省していた最終日のことでした。

その夜は、中学時代のバスケ部仲間と、夜通しカラオケで歌っていました。地元ではとても仲の良いメンバーで、毎年必ず会って語り合う仲間です。

雪の降る日でした。

「北海道でこんなふうに過ごす楽しい夜も、就職したら今日が最後かもしれない」

そんなことを、なんとなく感じていました。

カラオケの途中、僕は仲間に言いました。

「すまん。どうしても最後に会いたい人がいる」

そして、2時間ほど抜け出しました。

当時、彼女は美容師をしていて、仕事が終わるのは遅く、翌朝も早い。「早く終わったら連絡するね」くらいのやりとりだったので、実際に会えるかどうかも分かりませんでした。

でも、思ったより早く「仕事が終わったよ♪」と連絡が来ました。

夜10時半頃、彼女の自宅近くの駅まで会いに行きました。北海道の3月の夜は本当に寒くて、話せたのは20分くらいだったと思います。

そこで、僕は伝えました。

「大学の4年間、本当に辛かった。
特に大学1年のとき、あの電話のことを何度も思い出した。

『あぁ、俺にもこんなに応援してくれる人がいるんだ』って。
辛いときはそれを思い出して、奮起してたよ。

本当にありがとう。

タイミングが合わなかったけど、
正直、また付き合いたかった」

寒さと緊張で震えながら、そう伝えました。

彼女は本当に明るくて、中学時代には生徒会も務めるような真面目な子でした。

2021年の3月14日の夜、たまたま友人のSNSで、こんな投稿を見ました。

「親友が、一足先にお空の向こうに旅立った。あたしの親友NO.1は、あんたしかいないよ」

その言葉を見た瞬間、元カノのことだと、ふと頭に浮かびました。でも、まさか。信じられませんでした。

彼女が亡くなったのは、3月9日だそうです。

友人からは、

「たくまは遠いところにいるから、終わってから連絡しようってT(地元の友人)やH(地元の友人)と話していて。連絡が遅くなって申し訳ない」

と聞きました。気にかけてくれていた友人にも感謝しています。

中学を卒業してから、もう20年くらいになるのかな。

色んな思い出があるね。

あの頃、ぼくにかけてくれた言葉と笑顔に、本当に何度も支えられました。2008年の雪の夜に伝えた「ありがとう」は、今も変わっていません。

また、いつか話そう。

僕がそっちへ行くときは、必ず連絡するよ。
辛いときは、また話し合おう。
電話だってするからね。

それじゃー、またね♪