さいたま市浦和区のパーソナルトレーニングジム
Movere(ムーバー)代表パーソナルトレーナーの佐藤択磨です。
こんなことをブログに書くのもどうかと思いましたが、僕の現在に大きく影響している方なので、忘れないためにも今の心境と少しの想い出を綴ります。
ここ最近では3年前に一度連絡を取ったことがありました。
色々とあったみたいで
『聞かないで笑』
なんてやりとりがあったので、僕が妻のブラジャーを頭に被ったふざけた画像を送って
『たくま、変わらないね笑』
なんて言葉が、今でも自分らしさという原点を思い返させてくれる大きな存在でした。
その子は中学3年生の頃に僕から告白をして、見事にフラれた子です。
しかし高校まで通うバスが一緒で、僕より少し遠くにある、頭の良い学校に通学をしていました。
僕の高校当時は、7時半くらいのバスで通学をしていましたが、大会前の朝練で少し早いバスに乗ったとき、たまたまその子を見かけました。
もともと地味目の子がタイプの僕ではありましたが、その子の高校はセーラー服で、中学の頃とは見違えるほど可愛くなり、高校1年の終わり頃、僕はまたその子に恋心を抱いていました。
その子は現在テニス部に入っており、中学の頃とは違ってスポーツの話も合う。
何度かバスで会うこともあり、僕は当時はドキドキしながら通学していたのを思い出します。
土曜日の部活の帰り、たまたま帰りが一緒だった時は、バス停から自宅の途中まで10〜15分を話しながら帰る。
そんな関係が数ヶ月ほど続きました。
そしてあれはまだ2〜3月で、北海道ではわりと暖かい季節に感じたころでしたが、彼女の自宅前まで一緒に帰ったあとその場で告白をしました。
その時の返答は「後日、、、」ということで、僕は当時「うわぁまたフラれたかな〜」なんて思いながら帰宅しました。
数日後に彼女から連絡があり、返答をしたいから〇〇で会える?と、近くの公園で会いました。
当時のその子の返答は「オッケー」と手を大きく頭に掲げて、満面の笑みで「よろしくね♪」と交際をはじめました。
僕が高校2年でインターハイ出場を決めた時も、修学旅行から帰ってお土産を渡した時も「嬉しい♪」と素直に喜んでくれる、本当に素敵で可愛らしい子でした。
高校生の頃ですから、気持ちの移り変わりや部活動、さまざまなタイミングもあり、1年も持たずに僕から別れを告げることとなりました。
でも翌年のバレンタインや夏休み、そしてクリスマスの時期に、彼女の方から復縁の連絡があったこともありました。(これは当時は仲の良い友人にしか言ってませんでしたが)
減量のタイミングでイライラというか、あまり気乗りしない時もあれば、高校3年次のクリスマスは僕が国体決勝で負けて、精神的にも死にたいというぐらい落ち込んでいた時期で、ともてじゃないけどその時もお断りをしました。
その後は近くの自動車教習所にも通っていたのもあり、しばしば会うこともありましたが、ただの友達、そして同級生としての関係になっていたのだと感じました。
そして忘れもしない2004年の3月6日、僕が東京に旅立った日のことでした。
ボクシングの大学推薦で東京に着いた夜、不安と期待でいっぱいだった当時に、元カノから電話が鳴り、
「タクマ、もう東京にいるの?」
最後にもう1回会いたかった。」
ずっと好きだった。」
そんな電話をもらいました。
嬉しくて、東京にきた日が寂しくて、お互い電話で少し涙声ながら話しました。
夏休みに地元に帰れるのですが、その前の大学の寮でやった飲み会時の夜中に、元カノに電話をしたことがありました。
僕はもともとお酒が飲めません。(そもそも18歳でしたし)
当時、先輩たちからビールやジンロの一気飲みを強要され、連続3回目の時に、僕はトイレに吐きに行き、個室トイレの中で震えながら隠れていたことを思い出します。
それでも全員が使うトイレですから、ひっきりなしに人が入ってくるため落ち着かず、当時の監督の部屋に逃げ込みました。(寮に監督は住んではいなく、誰か入ってくることは基本はありません。)
そこで元カノに
「飲み会をしていて殺されそうだ。
早く北海道に帰りたい。
また会いたいね。」
そんな長電話をしているとこを先輩に見つかり、再び死のループに落ち入ってしまい、あとは記憶はありません。
飲み会の話は問題にもなりそうなので、ここで終わりますが、それぐらい辛かった大学1年次の夏に、
「こんな俺でも、応援してくれる人がいる。」と、心を強くして生きていけたのも、元カノとの電話があったからもありました。
この時の僕の本音を言うと、「大学を卒業したら、この子と結婚したいな」と本気で思いました。
夏休みに同級生6〜8人で会ったときは、すでに新しい彼氏がいたことも聞いていて、少し寂しいながらも、僕はすぐに東京にも戻るしという気持ちで、改めて気持ちの整理もできたところでした。
その後は毎年の夏休みで同級生たちと会ってはいましたが、個別の連絡をすることはありませんでした。
もちろん僕にも大学3年次には現在の妻でもある彼女がいたので、元カノに恋愛感情は一切ありませんでした。
ただ一度だけ、今まで誰にも言っていないことがありまして、そのことを天国にいる元カノへもう一度だけ伝えたいと思います。
あれは22歳で、2008年の3月でした。
大学を卒業して、地元に数日間だけ帰省していた最終日で、中学時代のバスケ部仲間で夜通しカラオケで歌っていました。
地元ではとても仲の良いメンバーで、それこそ毎年必ず会っては語り合う仲間でした。
そんなメンバーと、『北海道でこんな楽しい夜は、就職もあるし今日で最後だろう。』と、それとなく感じた雪の降る日、カラオケ途中で僕は
『すまん、どうしても最後に会いたいを人がいる。』と言って、そのカラオケを2時間ほど抜け出しました。
当時の元カノは美容師をしていたので夜も遅く、翌日も早いから『早く終わったら連絡する』ぐらいのやりとりしかなかったので、会いに行くのもどこか気乗りしないままではありました。
でも思ったよりも早く「仕事が終わったよ♪」という連絡をもらい、夜の10時半ころ、当時の元カノの自宅近くの駅まで会いに行きました。
(激寒だったので、20分くらいしか話せませんでしたが)
僕が元カノに伝えたのは
『大学4年間、本当に辛かった
特に大学1年のとき、
あの電話のことを思い出して
「あぁ、俺にもこんなに応援してくれる人がいるんだって
辛い時は思い出して奮起してたよ。
本当にありがとう。
タイミングが合わずだったけど、
正直、また付き合いたかった。』
そんなことを、震えながら伝えたんです。
本当に明るくて、中学時は生徒会も務めるような真面目な子でした。
今日たまたま友人のSNSで
「親友が、一足先にお空の向こうに旅立った。あたしの親友NO1は、あんたしかいないよ。」という投稿を見た時は、その内容でピンときたけど、まさかというか信じられなかったです。
3月9日に亡くなったらしく、友人から
『たくま、遠いから、
終わってから連絡にしようって
T(同級生)とかH(同級生)と話して、
連絡遅くなってしまって申し訳ない。
そんなことを話してくれました。
中学を卒業してから20年かな?
色んな想い出があるね。
また話そう。
帰るときは必ず連絡するよ。
辛い時はまた話しあおう。
電話だってするからね。
それじゃーまたね♪